おからのField note

生態学を専攻する博士課程の学生の日記です。野帳のようにつらつらつらと。

アラサーという概念

 

現代日本にアラサーという概念があってよかったなあと思う。

アラサーという言葉が普通に使われていなかったほんの数年前は、20代から30代にはかなりのギャップを感じざるを得なかったんじゃないかと思う。

 

「みそじ」

 

このくらいしか30代前後を表す言葉がなかったら、きっと私は20代最後の今日をお通夜のような気分で迎えていたかもしれない。

 

アラサーという概念のある今は、25歳くらいから少しずつ30代になるという気持ちの準備ができていたように思う。

 

それでも頭の中身は24歳くらいのまま止まってしまっているけれども。

 

20代は、小学生のころからの夢にぐっと近づいたと同時に、人生で初めて目標を見失った時期だった。

今でも探しているところ。

そして、周りを見ないように、自分の道だけ見るようにしていた。必死になって自分で自分を抑圧していたと思う。

それで得たものもきっとあると思うけど。

苦手なことばかりやらざるを得ない方向に自分で進んできて、苦手なりに頑張って、苦手なりにそれなりに、できることは増えてきた。

それでもやっぱり、かつての理想からはかけ離れたずいぶん情けない29歳だなあと思う。

 

30代は、逆にいろんな出会いや経験を積極的に進めて、自分の糧にして成長できたらいいな。

責任をもって取り組めることに没頭したい。熱中できる趣味も作りたい。どんどんいろんな人に会っていきたい。

いろいろわき見をして、いろんな価値観に触れて、好きなことやもの、人に囲まれて、かっこいい大人になりたいな。

『ニホンカワウソの記録 ‐最後の生息地四国西南より‐』

ニホンカワウソの記録 ‐最後の生息地四国西南より‐』は愛媛県立高校の社会科の教員である宮本春樹氏が収集した豊富な資料をまとめたものである。

 

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カワウソ絶滅の背景を社会的視点で追う

本書の意図は、「なぜ絶滅したとされるのかということを、社会の変化の中に位置づけること」とされている。

 四国の中でも特にカワウソの生息が多く確認された愛媛県高知県を対象に、それぞれの取り組みやカワウソを取り巻く状況を紹介している。

そしてどちらの地域のカワウソについても、徐々に個体群が衰退していく様子を、無念さもにじませながら淡々と語っている。

 

 

宮本氏は「肩書のない一市民が得られる情報は限られている。」としているが、本書には四国のニホンカワウソに関する記録がふんだんに収録されている。

 

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ちなみに、この高知新聞の写真が撮影されたのは高知県の新荘川であり、確実な生息記録が確認されているのはこの頃(1979年)が最後になっている。

 

この新荘川で同年に撮影された貴重な映像がYouTubeにも上がっている。

www.youtube.com

 

 

 これらの資料から、個体数は決して多くはないものの、カワウソがごく最近まで人々の身近なところに生息していた様子がまざまざと伝わってくる。

  

新聞記事や写真、地元の高校などに保管された貴重な標本の写真の数々を見て、こんなに最近の記録が残っているのかと驚いた。本書を読む前は、こうして人々の目に触れていたのはもっとずっと遠い昔の話だと思っていた。

 

生態情報の把握・蓄積や、生息環境の(最低限の)整備といった地道な方法ではなく、駆除、捕獲、飼育など、野生動物に対して直接的に働き掛ける活動が精力的に行われていった。

カワウソ村なるものも開園したそうだ。

しかしながら、多くの人々の努力に反して、カワウソは静かに数を減らしていったようだった。

 

これらの活動を見て、戦中~戦後の当時の日本人の野生動物に対する考え方を学ぶ上で興味深かったとともに、どうしても、ほかの方法はなかったのかという思いも感じた。

 

一方で、仮に現代においてカワウソの生息状況が当時の状況だったとして、日本人は適切な対応をとることができるのだろうか、と不安にも思った。

 

 

今だったらカワウソを保全できるのか

生態情報の把握や蓄積、および生息環境の最低限の整備には、多くの資金と人手、時間が必要になる。

 

限られた予算の中で調査や研究活動を行うにあたって、短期間における効率的な研究成果の量産を最優先し、非正規雇用が当たり前になった今、専門知識を持った人材がどれだけ育っているのだろうか。

また仮に生態情報の把握や蓄積ができる条件がそろったとして、これらの作業ははっきり言って地味な作業で、手ごたえも示しにくく、「こんなに保全をがんばっている」とアピールするのには物足りない。

最もアピールしやすいのは捕獲や繁殖かもしれない。しかし飼育下で数を増やしたところで、野生下で生息に必要な環境条件が把握できていて、かつそのような良好な環境が維持されていなければ、安定した個体群が野外において成立しつづけられるとは思えない。

どんなに地道な作業であっても、まずは現状把握とモニタリングこそが、保全において非常に重要なことであると思う。

 

また、地元は観光資源としての活用に興味があることと思うし、観光客は「行ってみたい」「見たい」と感じることと思う。

インターネットの普及によって、当時とは比べ物にならないスピードで情報が拡散する現代では、目撃地点などの情報を簡単に発信、収集することができてしまう。

交通網の発達によって、思いついたその日のうちに行ってみることができてしまう。

 

しかしながら、なによりも重要なのは「そこに安定してその野生動物が生息できる環境があること」であり、これが保証されない限り、結局は持続可能な観光産業にもなり得ない。

 

仮に個体数が増加した折には、当時にも見られた漁業関係者との摩擦も起こることが考えられる。

 

 

それぞれの利害関係が異なる立場にあっても、「安定してその野生動物が生息できる環境を維持するためには何が最も大切であるか」を見失うことなく、合意形成していくことができるのか。

 

 

答えはなかなか出るものではないと思うけれども、少なくとも当時の状況を知ること、学ぶこと、反省することから、現代の野生動物保全について考えていく上で、興味深い情報を提示してくれる一冊であると思う。